Yさんは大学入学前の春休みに免許を取得し、大学入学祝いとして親に中古のセダンを買ってもらった。以来、通学にプライベートに、車はYさんの生活に不可欠なものになった。とはいえ、実際にステアリングを握ってまだ数ヵ月。Yさんの“腕前”は愛車に貼られた若葉マークにふさわしいものであり、ボディに刻まれた決して少なくない擦り傷や凹み傷がそのことを雄弁に物語っていた。
Yさんも自分の運転がまだ未熟であることを自覚しており、常に安全運転を心がけていた。時たま友人を乗せることがあると、決まって“もっとスピードを出せ”
“ゆっくり走りすぎ”などと文句を言われるのだった。
その日、Yさんは大学の講義が終わった後、気の合う友人たち数人でそのうちの一人のアパートに遊びに行った。友人が買ったPCゲームを楽しむためであった。ゲームを一通り楽しみ、Yさんは午後11時頃にアパートを出た。
アパートから自宅までは1時間ほどである。Yさんはまず、アパートのある住宅地を抜けて国道に入った。ちょうどその頃から、大粒の雨が降り出し、その勢いは次第に強くなっていった。雷鳴もとどろき始め、Yさんは思わず肩をすくめた。ワイパーを起動させても視界は悪く、国道を走る他車のヘッドライトの反射光がますます前方を見えにくくさせた。
自覚はしていなかったが、Yさんはステアリングを握る手に力が入り、身を乗り出すような体勢で車を走らせていた。正直言って、Yさんは運転していることが怖かった。夜の国道は交通量こそ減っているが、走る車の速度は上がっている。信号も点滅になっているところが多い。隣の車線を水しぶきを上げて走る車が何台もYさんの車を置き去りにしていった。Yさんの車のすぐ前(Yさんにはそう感じられた)に車線変更する車も少なくなかった。その度にYさんは思わずブレーキを踏んでしまうのだった。
友人のアパートと自宅の中間地点を過ぎたあたりだろうか、三叉路に差しかかる手前でYさんは左にウインカーを出した。国道から“脱出”して、旧国道に入ろうと考えたのである。このまま国道を走っていては精神衛生上良くない。Yさんは多少遠回りになっても安全策を選択したかった。旧国道は片側1車線で、国道に比べれば道幅も狭く街灯もない。それでも交通量は国道よりはるかに少なく、雨の勢いもほんの少し弱まってきたようで、Yさんは慎重かつ気楽に運転を続けられた。
しかし、Yさんがホッとしていられたのもほんの数分だった。後方にぼんやりと見えた光が、急激に大きさとまぶしさを増してきた。RV車が迫ってきたのである。Yさんには、そのRV車が自分の車にぶつかってくるように思えた。
いきなり、後方の明るさが増した。そのRV車がフォグランプを点灯した(Yさんにはわからなかったが)のである。抜くなら抜いてくれ……Yさんは半ば祈るような心境だった。だが、RV車はYさんの車にぴったりと張り付くようにして走っている。Yさんの車はRV車に煽られる形で(実際にそうだったのだが)自然とスピードが上がっていった。信号は点滅になっている。適当な交差点で曲がったりしてRV車をやり過ごせばよかったのかもしれないが、Yさんにはそんな余裕はなく、アクセルを緩めることなく走り続けるしかできなかった。
まばたきはおろか、呼吸することさえ憚られた。Yさんの視線は前方とルームミラーを高速で行き来し、心臓の音が聞こえてきそうな気がしていた。前方に信号が見えた。まだ点滅状態にはなっていなかったが、後方に気を取られていたYさんにはそのことが理解できなかった。Yさんは信号が黄色から赤に変わったにもかかわらず、そのまま交差点に進入してしまった。別方向から光とけたたましいクラクションの音を感じたが、その後どうなったのか、Yさんは覚えていない……。
Yさんが意識を取り戻したのは病院のベッドの上だった。体中が痛く、頭と右腕に包帯が巻かれていた。Yさんは病院に駆けつけた両親と警察官から、交差点で左方向から直進してきた車と出会い頭に衝突したことを教えられた。精密検査はまだだが、切り傷と打撲程度で骨折等はないらしいとのことだった。直進車がそれほどスピードを出しておらず、Yさんの車の左後方にかすった程度だったため、Yさんの車はスピンしてガードレールにぶつかって止まったらしく、それが大事に至らなかった要因のようだった。
説明を聞きながら、YさんはあのRV車のことを思い出していた。あの車さえいなければ……Yさんは奥歯をぐっと噛み締めた。 |
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まずはYさんが大事に至らなかった(と思われる)ことを素直に喜びたい。生命に関わる惨事となっても不思議ではなかったのだから。
さて、今回の事故の経緯を振り返ってみよう。事故そのものは交差点内での衝突事故である。Yさんが負傷しているので、当然だが人身事故扱いとなる。
それでは、この事故の原因は何か。事故の状況から判断すると、直接的な原因はYさんの前方不注意による信号無視である。Yさんは信号無視という明らかな道交法違反を犯しているため、事故の責任は全てYさんに帰することになる(左側から直進してきた車には非がない)。
従って、この事故によって発生した損害も全てYさんが賠償しなければならない。Yさんが自動車保険に加入していれば、相手の車の損害は対物賠償保険、自分の車の損害は車両保険(任意)で賄うことができる。Yさんのケガの治療費は搭乗者傷害保険、相手がケガをしていれば対人賠償保険から治療費や慰謝料などが支払われる。
もちろん、自動車保険を使えば次回契約時の等級は下がる。さらに、今回は道交法違反を犯しているため、Yさんには相応の刑事罰が科せられることになる。
仮に事故現場の交差点に信号が無かった場合は、今回のようにYさんに全責任が帰することはなく、事故の状況から双方の過失割合が算出されることになる。そして、補償額もその割合に応じて決まる。
これが今回の事故処理の基本的な流れだが、Yさんを煽った後続車の責任は問えるのだろうか。Yさんにすれば、後続車が事故の原因だと思いたいだろうし、その心情も十分に理解することができる。事故には至らずとも、Yさんと同じような状況に遭遇し、精神的苦痛を被った経験を持つ人は多いだろう。
しかし、残念ながら、今回のケースでは後続車の責任は問えないだろう。確かに、後続車の走行は交通マナーに反している。だが、それだけでは事故の原因とは認められない(客観的な証明が必要)。Yさんは適当な場所で停車するなどして、後続車を先に行かせるべき(厳しい言い方だが)だったのである。
もちろん、だからといって後続車の行為が是認されるわけではないことを強調しておきたい。むしろ危険かつ迷惑な悪質運転として糾弾されるべきであろう。
それでは、後続車の責任を問えるのはどんなケースだろうか。まず考えられるのは、後続車がYさんの車に接触した場合である。形式的には追突事故となるので、後続車が事故の全責任を負うことになる。平成13年12月には「危険運転致傷罪」(刑法208条の2)が新設され、悪質・危険な運転で死傷事故を起こした場合(四輪以上の車)は懲役刑が科せられることになっている(各自治体が個別に制定している交通安全関連の条例で罰せられるケースもある)。
さらに補足を加えると、煽られた際に急ブレーキを踏みたくなったことはないだろうか。その気持ちは理解できるが、非常に危険な行為であり、絶対にすべきではない。実際、昨年8月に後続車の煽り行為に怒った運転手が急ブレーキを踏んで死亡事故に発展したケースがあった。裁判でこの運転手は傷害致死罪に問われ、懲役5年の判決を受けている。 |
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| 公道を走行する以上、周囲に危険をもたらす運転は容認されないものである。当然ながら、罰せられるからではなく、それが車を運転する者の最低限の基本的なルールだからだ。読者の皆さんもこの“単純”なことを改めて認識し、安全運転に努めてほしい。 |
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※このケーススタディは編集部が作成したフィクションであり、実在の人物や団体等とは一切関係ありません。
また、写真も本文とは無関係です。 |
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